国語教育デジタルポートフォリオ

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「一つの花」どうしてお父さんは「一つだけのお花」をゆみ子にあげたのか?

光村図書4年生の教材「一つの花」(今西祐行)、前回の課題が意外と難しかったので、今回はもう少しやさしめにする。

「どうしてお父さんは『一つだけのお花』をゆみ子にあげたのか」

 

本文から素直に読み取れることは

・ゆみ子がおにぎりをみんな食べちゃって渡すおにぎりがなかったから

・プラットホームのはしにコスモスの花を見つけたから

・最後にゆみ子の泣き顔でなく、笑う顔が見たかったから

あたりであろうか。

 

おにぎりがあればおにぎりを与えて、汽車に乗ったであろう。しかし、おにぎりはない、そこでなにか他に与えるものを考えて、たまたまコスモスを見つけたのであろう。

その結果、ゆみ子は笑ってくれた。してみると、何個かのおにぎりをもう食べてしまっていたゆみ子である、おなかが空いていておにぎりを求めていたというよりも、「あるのならばほしい」という状況であったのであろうか。批評家の中には、ここでのゆみ子の反応を不自然だと糾弾する向きもあるようだが、それは戦争文学はこうあるべきという思いにとらわれすぎているからであろう。また、「おにぎり」が「花」に変わったことや「数あるもののうちの一つ」から「たった一つ」に変わったことに象徴的な意味をとる向きもあるようだが、それが父親の考えであるとまで読むのは、やはり不自然な気がする。

補助発問をするとすれば

「ゆみ子の反応を見たお父さんはどうだったろうね」

くらいで十分でないか。キャッキャと喜ぶゆみ子を見て、うれしく思ったお父さんは安心して汽車に乗ったであろう。

最後の場面でコスモスが登場するが、ここではそこにあまりこだわらずに読んでいきたい。