国語教育デジタルポートフォリオ

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「一つの花」教材研究

光村図書4年教材「一つの花」(今西祐之)。定番教材だが、戦争平和教材としては現実を正しく伝えていないとして様々な批判がある。代表的なものとしては、

・「ゆみ子とお母さんの他に見送りのないお父さんは」とあるが、当時の体制では出征する兵士を近隣挙げて見送るのが通例で、不自然である。

終戦10年後(「あまりじょうぶでないお父さん」が出征したことから終戦直前と思われることから)の食糧事情を考えると、ゆみ子の「『母さん、お肉とお魚とどっちがいいの。』」という発言に不自然さがある。

などがあろうか。どちらももっともな指摘である。

なので、この教材で戦争を教えようなどと考えてはいけない。あくまでも物語として読むべきである。

そう考えるとよくできた作品ではある。前半と後半との対比がきれいに書かれていて、あえて曖昧に叙述する語り手にもかかわらず「きっとこうなのだろう」という行間の読みがしやすい。

【前半】

「『一つだけちょうだい』」→物が豊かにない。

「いったい大きくなって、どんな子に育つのだろう」→父の不安

「一輪のコスモスの花」→捨てられ、忘れられていたもの

 

【後半】

「『お肉とお魚とどっちがいいの』」→選べるだけのものがある

「ゆみ子が小さなお母さんになって、お昼を作る日です」→父の不安の解消

「コスモスの花でいっぱいに包まれています」→復活し、広まったもの

 

<あらすじとしてまとめると>

「ひとつだけちょうだい」のが口癖の娘を見て、物資不足の状況を嘆き、将来を不安に思っていた父であるが、とうとう出征の日を迎える。おにぎりを求める娘に父が与えたのは一輪のコスモス、何個かのおにぎりをすでに食べていた娘は、きれいな花に喜ぶ。父は戦死したが、母は再婚もせず、洋裁などをして娘を育てている。娘は成長し母の手伝いをしてくれるようになった。娘も父のことを話題にせず、母も父のことは話題にしない。しかし、「お肉とお魚どっちがいいの」と買い物に出かける娘の家は、たくさんのコスモスの花に包まれている。(きっと父のことを忘れてはいないのだ)。

 

しかし、いつも思うけど、教科書って父にとって気持ちのいい話が多すぎるよな。